前回、勉強会後の帰り道、自分の源流に行こうと、南千里へ向かった訳
千里病院を見た瞬間、母方の祖母を思いだして涙が出た。
私の父方の祖母も母方の祖母も二人とも、女手で家庭を切り盛りしていた。
父方の祖母は、30代で夫を亡くし、その後一人で4人の子供を育てながら、商売をしていたが、私が生まれる頃には父が継いでた為、そんなにしゃかりきに働いていた記憶はない。
今でも、「あんたの、おばーちゃんはな、お爺さんが早くになくならはったし、自転車乗ってガラスの割れ替えに走ったはったんやで~。よう頑張ったはった。」と、お客様から聞かせてもらう事がある。
母方の祖母は戦後様々な事情で祖父が仕事をしなくなった為、女手で母を含めた兄弟4人を育てた。
祖母は、定年するまで千里病院の給食室で働いていた。
私達が、母の実家の千里に行くときは、祖母が働く千里病院に寄って、祖母の顔を見てから母の実家に行った記憶が今でも残っている。
私の中では、千里病院=祖母なのである。
祖母は、どんな時もニコニコしていた。
一人働き、様々な葛藤もあったと思う。
祖母が後ろ向きな言葉を言った事は一度もない。
お正月には「はい、あんたらの新しい肌着」と孫6人全員分の肌着を買って私達が遊びに来るのをニコニコと待っていてくれた。
そんな記憶も鮮明に残っている。
どうしたら周りが幸せか、そんな事をいつも考えていたように思う。
どんな時も笑顔で前向きにがんばっている祖母の姿こそ私の源流だなと改めて感じた。
(祖母が仕事から戻るのを待ったベンチも、今もそのままの場所に)
帰り道には、祖母の思い出を思い出しながら、鼻歌まじりで幸せいっぱいで、スキップしながらで駅までの道のりを戻った。
人生は、様々な事が起こる。
心折れずに、決めた道を歩く事に迷いなく真っ直ぐ歩けるのは、そんな祖母の後ろ姿から学ばせてもらっているのかもしれない。
姿はなくても、人に勇気を与え優しさを教え、幸せにしてくれる祖母、私の最も尊敬する女性。
そんな、母であり、女性であり、社会人でありたい。
改めて心に刻み、見習っていこうと思う。
ありがとうございます。
京都市西京区川島寺田町18
新築・リフォーム ココロとカラダ、ココチよく
by nakamura ㈱中村 代表取締役 原田恵美
http://www.cocochinoie.jp
女手一人で4人ものお子さんを育ててこられたのですね!
返信削除ご立派ですね。
強さの中にある優しさを感じました。原田さんに似ています♫
酒匂です。
返信削除済生会千里病院の記事にびっくりしました!
京都のイメージが強い原田さんに吹田にそんなルーツがあったなんて。
ここ、我が家にとっても思い出深い病院で
何より子供が生まれたのがここです!
22時間の超難産だったので、
この前を通る度に子供にもそんな話をしています。
驚きました!